小説/読了
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つまるところ,
冴えないけれど真っ当な男がえっらい美人で能力的にも優れた嫁をもらった。
しかし嫁は家庭生活を営む能力がみじんこほども備わっていなかった。
そんな嫁が妊娠した。
十月十日で子どもは生まれる。さあどうするお父さん!? て話。
家庭なんてのはそれぞれで,そこんちが幸せです! って断言できればいいんだとおもう。
家庭に限らずなんだってそうだけど。
わたしは相手が30年かけて形成してきた性格だの規範だのをいちいちひっくり返すなんてのは労力の無駄だし己の驕りでしかないと考えるので恋人のすることにいちいち口出ししたりはしない。
「洗面台の排水が詰まってるじゃんよー。髪の毛とってよまったく! ぬるぬるして気持ち悪いからってわたしにやらせんな!」
とかは云うけど。
でもまあそれは恋人がひとりの人間として最低限(もしかしたらわたし以上に)きちんと生活する能力があるからかもしれない。
この本の嫁は炊飯器で米は炊けねえわ,部屋の掃除はできねえわ,できるのは仕事だけ。
妊娠がわかっても残業するわヒールで歩くわ「妊婦としての自覚が足りない」って注意されれば逆切れするわ。
だけども仕事はすんごくできるらしく職場では大事にされているらしいし,また本人も仕事が好きらしい。
なにかにえらく突出したひとっていうのは,その他が全部ダメだったりする,その典型なのかもしれない。
読んでいて思い出したのが,この間まで向かいの席に座っていた30代前半の同僚の言葉。
「彼女が重い荷物持ってたら自分が持とうと思うし,俺のシャツの釦が外れてたらつけてほしいって思うじゃん。別に男だから女だからってわけじゃなく,普通にそう思うじゃん」
できる方ができることをやればいいんだよ。
ふたりともできなかったらお金で解決するか,二人で手を取り合って協力するか,喧喧囂囂押し付け合うかすればいいんだよきっと。